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もし財政政策の支えがなければ、大恐慌期のアメリカの実質GNPは三六%ではなく四四%減少していたことになる。
財政収支の状況を見ると、三一年以降、中央政府の総歳出額は総歳入額の落ち込みにもかかわらず増加していた。
三二年以降は、ざらに総歳入額が急減した中で政府は総歳出額を増加させており、財政赤字は急拡大していた。
したがって、大恐慌期の財政政策は景気の足を引っ張っていたのではなく、景気を下支えしていたことになる。
財政政策は大恐慌を回復させるのに十分な水準ではなかったという議論はありえるが、緊縮的財政政策により不況を大恐慌に転化させたとは言えない。
また、三三年からの経済の急回復においても、政府支出が伸びているが、経済全体が急速に回復したことによってGNPに占める比率は停滞したままだった。
大恐慌を終わらすのに、とてつもない財政拡大政策、すなわち、第二次世界大戦は必要なかったという証拠は、皮肉なことにドイツと日本の経験から得られる。
ドイツの失業者は一九三二年には八○○万人、失業率は三三%にまで上昇したが、三七年には失業者は五○万人にまで減少していた。
ナチスが戦争準備のために軍需物資の大量生産を始めるのは一九三七年以降である・同じことは日本についても言える。
実質GDPは一九二一五年には二九年の水準を三四%も上回っており、既に完全雇用水準となっていた。
軍事予算が急増して本格的に戦争準備を始めるのは三六年以降のことである。
三七年からはインフレーションが始まり、その後の軍備の増大のためには、生活水準を低下させなければならなかった。
戦前期、日本の一人当たり実質個人消費支出がピークとなったのは一九三七年のことである。
実質GDPは戦争がはじまるまで増大するが、消費支出は低下していた。
これは、消費財を生産する労働と資本を回さなければ軍備をそれ以上生産できなかったということを意味する。
すなわち、日本が太平洋戦争を始める一九四一年の四年も前に、日本の大恐慌は終わっていたのである。
大恐慌は第二次大戦という生産物のとてつもない消尽に依らなければ終わらなかったと主張するのは誤りである。
なお、ここで日本の大恐慌からの脱却が早かったことを強調しておきたい。
その理由は、日本がいちはやく金本位制から離脱し、大胆な金融緩和を行っていたからである。
また、大恐慌は、技術進歩の行き詰まり、人口増加の停滞などの構造的要因によって、耐久消費財、設備投資、住宅投資が落ち込んだことによって起きたという議論もあった。
しかし、これらの需要減少は大恐慌の原因というよりは結果である。
需要がなく、雇用がなければ、誰も設備投資をしたり、消費をしたりはしないだろう。
まして住宅を購入しようとなどしないだろう。
二○年代の建築ブームとその崩壊が大恐慌の一因だという議論もあった。
しかし、アメリカ経済は、めざまし大恐慌は、不況に高まったアメリカの保護主義によってさらにひどいものになったという意見もある。
ホーリー関税法による関税の大幅な引き上げが大恐慌を悪化させ、世界を大恐慌に巻き込んだというのである。
確かに、保護主義は世界の経済を非効率にする。
その結果、アメリカの生産性を低下させるというのは正しい。
しかし、ホーリー関税法はアメリカヘの輸出国に打撃を与えただろうが、関税がアメリカの大恐慌をもたらしたとするなら、自国の関税が外国の報復関税を招くことでアメリカの輸出を減少させたのでなければならない。
なるほど、アメリカの実質輸出は二九年のピークから三二年にかけて四○%以上も減少している。
しかし、アメリカの実質輸出は当時のGNPの五%強を占めていたにすぎず、これが半分になっても大恐慌にはなりえない。
また、アメリカ経済は二一三年以降回復に向かっていったが、それに伴って輸入が増加した結果、純輸出はマイナスになっている。
このことから考えても、輸出の減少は大恐慌の大きな原因ではなかった(誤解のないように付け加えておくが、私は保護主義に反対である)。
現在の、世界金融危機がどれほど深刻なものになるかを考察するために、これまでの金融危機について検討した。
戦後の一八の金融危機と一九三○年代のアメリカ大恐慌についての考察から得られた。
技術進歩も、人口の増加がないにもかかわらず、三三年をボトムとして急速に回復している。
構造要因説は、大恐慌を説明する議論としては、まったく無内容である。
大恐慌は、マネーサプライの急激な縮小という金融的ショックによって起こった。
とすれば、その終罵もマネーサプライの急激な拡張という逆向きの金融的ショックによらなければならない。
現実に起きたこともその通りのことだった。
マネーサプライは、実質GNPがピークだった一九二九年第4四半期から三三年の第1四半期までの一三・四半期の問に三○%減少した。
ところが、三三年第1四半期から三六年第2四半期までの一三・四半期の間に三ニ%上昇したのである。
マネーサプライの上昇とともに、実質GNPは三六年の第2四半期までに四二%上昇した。
大恐慌のもっとも深刻な時代は終わったのである。
このような実質GNPの短期間での急上昇が、構造変化に依らないものであることも明らかである。
構造が、短期間に変化するとは考えられないからである。
マネーサプライの劇的な上昇に比べ、ルーズベルト政権での、政府支出の増大はわずかなものだった。
GNPが急拡大したために、政府支出の対GNP比は低下さえしている。
結果は、次のようである。
戦後の軽微な金融危機では、一時的な不況があっただけで、経済が長期に停滞するということは起きていない。
大きな五つの危機では、三年にわたる不況とその後の順調な成長、または長期の停滞が起こっている。
危機からの回復が遅れた場合は、金融緩和が遅れた場合が多い。
北欧の危機が深いものになったのは、資本が流出したことによって、金融緩和をすることが困難になったことが一つの理由である。
アメリカの場合には、資本流出もなく、金融緩和に制約はない。
アメリカの不況は北欧ほどのものにはならないだろう。
アメリカの大恐慌から得られる教訓は、大恐慌はマネーサプライの急激な縮小によって起こったということである。
マネーサプライを縮小させた金融引き締め政策は、金本位制への固執であった。
金本位制を捨てて金融を緩和することによって、アメリカは大恐慌から脱却できた。
大恐慌からの脱却に、とてつもない財政拡大を要した第二次世界大戦は必要なかった。
アメリカ発の金融危機の経緯サブプラィム関連証券から始まった金融破綻は、全世界へと波及し、世界金融危機の様相を示しつつある。
この原因については説明したが、ここではまずアメリカを中心とした金融危機の経緯とそれへの対策を説明する。
サブプラィム・ローン利用者の返済延滞率が二○○六年後半から大きく上昇し始めたことから、将来同ローンが大きな損失を生み出すかもしれないと懸念されていた。
それが現実のものと認識されたのは二○○七年八月のBNPパリバによる傘下ファンドの解約停止である。
アメリカは、これに対して、まず金融緩和で臨んだ。
ニ○○七年九月には政策金利であるFFレートの誘導水準を五・二五%から四・七五%に引き下げた。
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